ADORATION FOR GLOVED BOYS

 charlie の書き下ろし少年ボクサーエッセー

その一 プロローグ チャーリーの自分史抜粋

試合終了 校庭に作られた仮設のリング 周囲の観客のどよめきは未だ静まらない.

勝敗は判定にもちこまれた。 赤コーナーAくんーー勝者の少年の腕が高々とあげられる。

やったー 誇らしげな勝者の美少年 緋色の上下 白のストライプ

リングシューズからは白地に紺のハイソックスがのぞく。

頬をかすかに腫らし、唇には血がにじむ。半開きの口からはマウスピースが白く洩れる。

苦しげな、しかし勝ち誇った表情だ。 秋の日の午後、落日が少年の影を長く描く、

対する敗者の少年。この子もかわいい。 鮮黄色の上下、赤のストライプ

純白のハイソックス、しかしユニフォームもハイソックスも血が滲んで、

肩を落としうつむく少年 左目を青黒く腫らし、かわいいお口も血と唾液でぐちゃぐちゃ

格好のいい鼻からも一筋の鮮血が流れるまま。 悔しい、両腕のグローブで顔をおおい、

タオルを羽織って, 涙を隠しながら仲間の少年たちに支えられリングを去って行く。

ノックアウトはされなかったけど、やはり負けたんだ

『くそお、畜生、今度やったらぶっ倒してやる』

内心の自分に言い聞かせるようにかすかにうめきつぶやきながら、控え室に消えて行く。

さてこれは実況ではありません。 敗者の少年は僕に似ているかもしれないけれど、

実際の僕はボクシングやらなかった。

やりたかったし、その機会もあったのに、とうとうやらないで来てしまった。

少年ボクシングやればよかったなあ。

小学生から中学生まで、僕はそれ相応にかわいい男の子だった。

KENNちゃんやKくんほどじゃないけれど(そう思うんだ)

丸い顔、優しい目つき、ほほえみを絶やさない表情、頬にはえくぼもできる、

顔にうぶげが出やすいたちで、だから女の子にはまちがえられなかったが、

優しい、明るい性格で女子生徒にも人気があった。

勉強はよくできたんだ。 塾なんか行ってない。 必要が無かったんです。

名門の進学校つまりお坊ちゃん学校へ通ってて、

よくいじめられた。 帰りがけに途中で待ち伏せされて大勢に取り巻かれ

帽子をとられちゃったり、ひっぱだかれたり、こづきまわされたり、だって、多勢に無勢だもの。

だけど、僕見かけほどおとなしくはないんだ。弱くても、 殴られたら、殴り返す。

 いっぺんだけだけれど、とうとうやっちゃった。 

僕、実はいざとなると性格変わる方。 殴り合いに取っ組み合い

どっちが勝ったか全然覚えていない。 多分引き分けドローだったんでしょう。 

でも家に帰ったら大騒ぎになり、どうも血だらけでタンコブができていて、

すぐさま外科医院にかつぎこまれてしまった。 

バンソウ膏をベタベタ、包帯をグルグル巻かれ、勇ましい格好です。

しかし翌日、包帯とバンソウ膏をビリビリ引き剥がされ

あまりの痛さに悲鳴をあげて泣きじゃくり、少年ファイター形無しでした。

こうした僕が両親には歯がゆかったのだろう、いろいろなことを考え実行した。

まず僕に家庭教師をつけた。 その話おかしいって? そうでしょう 勉強ではなくて、

体育の家庭教師 体育大の大学院生N先生 体操が専門だったみたい。 

のちに某国立大学教育学部の教授になったそうだから、

ちゃんとした先生だったんだ。 しかし困ったことが起きた。 先生錯覚を起こして

僕に勉強まで教え始めた。 父親が怒ってしまい、(怒るほどのことじゃないのにねえ)

とうとうN先生はクビ、なんでクビになったのか先生最後まで判らなかったらしい。 

その次はこれはもっとすごいので、

どういうわけか、うちにはプロボクサーが居候をしていた。えらく大きなやつで、

ウエルターかミドル級ぐらい。今はもうないが、国民体育拳闘会という

すごくマイナーなジムに所属していて、だから住むところがなかったんだろう。

一時は全日本ウエルター級チャンピオンにまでなったから、まあ強かったのでしょうね。

でも僕あまり彼のこと好きじゃなかった。だって臭いんだもの。トレーニングの後なんか、汗臭くて、

そりゃあ僕だって友達だってよく汗かいてた。少年同士の汗の匂い、気持ちのいいものだった。

だけど大人の汗臭さ、たまらないよ。気が遠くなりそう。

その彼が僕に『坊ちゃん ボクシング教えてやるよ』と言い出し、 本人よりも先に父親が乗り気になり、

早速練習開始、庭に練習場を建てるとまで言い出した。これが実現すれば、僕だって、

当時中一とすると3年で高一、4年で高二だから、

都の高校選手権で、相当いいところに行ったはずなのだけれど、彼が何か不都合

をしでかして家にいられなくなり、 この話もボツとなった。 

僕のサイズなんですが、中学校低学年のころ、身長160cm、体重50kgくらい、そう小さい方でもない。

体重は練習次第で変わるはずで、練習を積んで絞ればモスキート級で落ち着いたと思う。 とにかく

惜しいことしたものです。 ただ、すんでしまった事をいまさら悔やんでも仕方がないので、これでは

charlieの思い出話にしかなりませんが、この僕の少年ボクシングへの思い入れの吐露として

受け入れていただければ幸いです。

少年ボクサーへの僕の道筋には、まだ難関がありました。 実際トレーニングを開始したとして、

まず第一に、僕、実は本来左利きです。 ところが両親は旧弊で、

幼年期に無理に右利きに矯正します。 そのため変なことが起きちゃった。

少年期にすでに一見右利きらしくなっていて、字を書くのも、箸を持つのも右。

ところが、咄嗟の動作はあいかわらず左

これは今でもそう。 ですからねえ、左ジャブで相手に向かっていく。 ストレートでのとどめは

やはり1,2,3左、右、左で決めたい。 しかし、左腕はそれほど使っていないからパンチはブヨブヨ

到底倒せない。 まだあります。 僕は足が小さい。 当時から今まで、24.5cm 

少年としても小さいです。 現在市販されているボクシングシューズは少年用で、

最小が24.0cmじゃなかったかな。

つまり僕は足の安定が悪い。 フットワークに弱点がある。 性格的にむしゃぶりついていく方だから、

接近してのフックの連発で立ち向かい、アウトボクシングでの強打一発はまあ出来ない。

いわゆるファイタータイプ。 僕はそれに鼻血を出しやすい体質、リング中央で足を止め、

ベタ足で血まみれの殴り合いをやるんだろう。 美少年の血しぶきをあげての強打の応酬なんて

軽量級では珍しくて評判になったんじゃないかな。 本当のところ、強打は嘘、前にも言ったように、

パンチ力がないから、インファイトの消耗戦で、気力に勝る方が打ち勝つ結末。

 ここまでの話、いろいろ述べてきましたが、これ事実じゃありません。 こうだったらよかったなあといった

願望の産物です。 僕の内部には潜在意識のように、少年ボクサーの姿が刷り込まれているのです。 これは、

なかなか他人には明かせないもので、ずっと悶々としてきたのが現実でしたが、ようやくGBSを見出しました。 

ただの思いつき、随想風のものですが、これから少々書きこみさせていただきます。

 突然の出現でごめんなさい。


その二 美少年ボクサーは何処に


 さて、さて、さてと、(まだ続くんですよ.) この美少年ボクサーだけれど、

KENNちゃん、Kくん2人とも成人引退(?)してしまい、あらたな美少年の僕もはじめから挫折して登場せず、

この昨今かんじんの美少年ボクサーはいったいどこにいるのかしら。 なかなかみつからないものですねえ。

昨年のさくらジムでのチビッコ大会、僕は知らなかったので見てないのですが、 サイト内の画像集から

窺い知ることができるので、かわいい有望な子もいますね。 赤の上下の子よかったな、僕好みだ。

 だけど、シャツもトランクスもサイズが大きすぎてブカブカ、あれじゃしまらないよ。

 身体にピッタリのユニフォームだと身体が締まって見えて、かっこいい。

その方がリングで暴れまわれる筈だ。 あの子のお母さんが当然用意すべなのに。

 それとも、KENNさんの時のようにジムが新調するのかなあ。 ヘッドギアーやグローブはルールがあるから

サイズが制限されるけど、ユニフォームは色の制限はあっても、サイズにはないんだから。

 僕はかわいい少年ボクサーはあまり知りません。 それに殆んどが高校生ボクサーだから、

たちまち16歳未満の制限にひっかかって、とりあげられなくなっちゃう。 ひとり覚えているのは、

有名私立大学付属高校ボクシング部員だったDくん15歳。 彼は本当の絶世の美少年でした。

モスキート級で、その中でも一番軽かったらしい。 試合を見たことがあるけれど、右のジャブばかりで

フックは打てなかった。 ストレートもかなり不正確、天は二物を与えなかったみたい。

この子の欠点は、まずボクシングが駄目だったことだが、次にはこれは僕は仰天したのだけれど、

声の悪さ、物凄い信じられない程の低音で、これが少年の声なのだろうかと驚いてしまった。

 僕の見たところ、強いボクサーには声が甲高いのが多い気がする。 声調の高低と格闘技の強弱とには

何か因果関係があるのだろうか。 試合も1回戦で負けてしまい、ラストラウンドでは疲れ切って、

かわいいお顔を苦痛で歪め、マウスピースを吐き出し痛々しかった。 鼻血は吹かず、顔面も腫れずにすんだが、

美少年ボクサー好きの面々の期待は裏切ってしまったようだ。 

Dくんのその後は知りません。 大学部の部員にはならなかったみたい。

 あの腕前ではね。 僕は彼にその後もご執心で、物好きにもトレースを試み、

東京新橋にある名簿図書館で大学・高校の卒業生名簿を調べたが、居所連絡先不明となっていた。

 Dくんどうしたのかなあ。

他にも僕charlieが恋焦がれたかわいこチャンのボクサーは何人かはいて、神奈川県Y高校の某くん、

新宿のK学院高の某くん、それに杉並のK学園の某くん(彼は初陣の試合であわれノックアウトされちゃった。

可哀想、だけどかわいい!)と何人もいたけれど、すべて当時16〜17歳で失格、皆かわいい盛りだったのだけれどね。

 Y高校の彼、試合の後リングをおりてから、どういうつもりかトランクスを脱ぎ捨て(きっと暑かったんだ)

サポーター1枚の姿を僕に見られてしまった。 シャワールームまでついていけば、

サポーターの下まで見せてもらえたのだろうけれど、これは遠慮しました。