プロボクサー元太

 

 柔道教室の帰り。

いつも一緒に帰る仲間とも別れて一人になったところで、元太は小太りの

自由業っぽい感じの男に声をかけられた。

話はあまりに唐突なものだった。

「オレが、ボクシング?」

「そうだよ、元太クンって見るからに強そうだし楽勝だって!

チャンプになれば1回の試合で何とファイトマネー10万出すよ、どう?」

下校中呼び止めた男を怪訝そうに元太は見上げる。

日焼けした体格はお世辞にもスリムとは言えなかったが、腕力にはこれでも

自信もあり、また10万という大金が手に入るというのは小学生には夢のような話だ。

「相手はどんなヤツだよ」

「それが同じ小学生!!といっても元太くんぐらいデカい子はいないのさ」

「……面白そうじゃねぇか。ボクシングかぁ。一度やってみたいスポーツだったしな」

話が決まると、元太は目隠しをされてそのままワンボックスカーで試合会場に運ばれた。

運ばれる間中ずっと誘拐ではないか、と不安になってはいたが、そんなことをいろいろ

考える程度の時間もかからず車は停車した。

 

控え室で目隠しを外された元太は、蛍光灯と灰色のロッカー、リノリウムの床に

ゴミ箱、腰掛けている長椅子兼ベッドしかない部屋をきょろきょろと見回した。

と、男がビデオカメラを自分に向けていることに気付いた。

「じゃあ、自己紹介してくれるかな」

「あ、ハ、ハイ……金田元太、5年生っス!」

ちょっと緊張気味にそう答えると、男の指示で手にバンテージを巻かれると、

予め用意されていた黒いグローブとトランクス、それからマウスピースとリングシュー

ズを纏う。

ドキドキしながらそれを受け取ると、元太はさっそく身にまとってから

カメラの前に立ってポーズをキメた。

肥満とは言わないまでもプニプニと肉付きのいい体格に日焼けした餅肌、腹を締め付けるように

テラテラと光るキツめのサイズのサテン地トランクスの腰のゴムが食い込む。

ムッチリとした尻や太ももの形がはっきり分かるのもちょっと恥ずかしい。

しかしそれでも、姿見の前でいざ自分の勇姿を目にすると、ゾクゾクとする言葉では

とても言えない快感が背筋を走った。

カッコイイ。

普段の生活では絶対体験できない、。テレビとかでよく見かけるプロボクサーの

姿がそこにはあった。

そう思うと、何だか気恥ずかしくも照れくさいものがある。

「それじゃあ軽くシャドーボクシングしてみて」

「シュッシュッ……シュッシュッシュッ……」

「おー、強そうだね、喧嘩とか強いの?」

「あ、ハイ!!大抵のヤツには負けてません!!」

「ふーん、じゃあ今日の試合も大丈夫だね、うんうん」

男は満足そうな笑顔でそう言いながらペチペチと背中を軽く叩いてから、出陣を

促した。

元太はすっくと控え室の長椅子から立ち上がると、着せられたガウンを翻して

試合会場に向かうまでの通路へと足を踏み出した。

と、暗い通路からぱあっと明るくなると、どっと元太に観客の声援が集まる。

「わ……」

びっくりした元太にセコンドについた男は笑いながら

「どうだ?観客も大喜びみたいだな」

「う、うっす……」

何だか本物のプロボクサーになった気分がじわじわと込み上げてくる。

 

しかし、場内についてから、元太は突然、この地下ボクシングの厳しさを

目の当たりにすることになる。

前の少年の『試合』がまだ済んでいなかったのだ。

しかし、その内容はとても元太の想像するボクシングの範囲でおさまるものではない。

丸坊主で少年野球でもしていそうな小学生が、泣きながら観客に向けてペナルティの

ハーフタイムショーをさせられているところだった。

ニュートラルコーナーでは、多分彼と激戦を繰り広げていたであろう少年が、安堵の

笑顔でロープにもたれかかりながらそれを見つめている。

纏っているのはトランクスではなく、間に合わせの水泳の水着の下に履く白いサポーター

一枚で、準備の不手際のせいだという。

「こ、これは!?」

「へへへへ、アイツは多分あんまりにも不様なプレーをしたからやらされてんだな」

急に優しそうだったセコンドの口調が変わる。

観客席から少年にヤジが飛ぶ。

「ほらほら、気合入れて我慢せんかい!!」

「根性入れろダイスケ!!」

 

「いいか元太、リングに立つ以上は子供と言えどプロ、本気で観客を楽しませる

ことが義務なんだぞ」

「だけどこんな……ボクシングでボコボコなのにこんなキツいこと……」

しかしそれからまもなく、ブルブルと少年は全身を痙攣させると、ギュッと目を閉じて

「あっあっ……あああーっ!!!!」

と大声をあげた。

その瞬間、無数のフラッシュが焚かれ、少年は力なくうなだれた。

さすがにこの演技は相当負担が大きかったのだろう、一人でコーナーに戻ることすら

ままならない彼のセコンドが両脇を抱えて抱き起こしたところでゴング。

「あっと惜しい、ダイスケ君の体力では3分演技が続けられなかった模様、次のラウ

ンドに 不安を残しました!!」

インターバルでお互い体を拭いて貰うのも終わる。

「ラウンド4、ファイト!!」

 

スラっとしているもののガクガクした足腰のまま試合再開。

全く無抵抗のダイスケに対して容赦ないラッシュ!!!

攻撃する少年のリングシューズのキュッ、キュッという音がダイスケを激しく追い詰める。

ボコオッ!!

あえなく崩れ去るダイスケ、そのままカウントに入ってKO負けを喫してしまう。

大の字の姿に対戦相手は嘲笑しながら恐怖で畏縮したダイスケをリングシューズで

グイグイ踏みにじり、両手でガッツポーズ!!

そこから観客を含めた数人の大人たちが囲みだす。

 

「どうだ、負けたガキはああやって、自分に賭けてくれて一番損をしたお客さんに

『お詫び』することになるんだ」

「そんな……」

観客の男はこれまでの試合運びの不様さをネチネチと言葉で詰る。

「どうしてくれるんだ?中学で野球部っていうから、小学生には勝てると思ってたのに…

この細い手足は伊達だったようだなぁ、ええっ?」

しかし何故か、男の声は激怒しているようには聞こえない。

「スイマセン……」

ただそれだけを連呼する。

ゴクリ、と生つばを飲む元太。

「こうなりたくなきゃせいぜい頑張るんだな、まあ時間の問題だろうが」

「……うるせぇ…」

「そんな顔してられるのもいつまでかな。まあ、この後は自分で実際体験しなよ!!」

 

それから、勝った方の少年とセコンドが隣を通り過ぎる。

「中学生だからってちょっと細工しすぎだったようだな今回」

「オレのグローブにまでアレ塗るんだもんな、お陰でアイツ、殴られたトコが

もうジンジンで最後抵抗どころかパンチ欲しがってたし、へへっ」

そんな会話が聞こえてゾッとしたが、

「人のよりお前の方心配しろ」

とたしなめられた。

 

「さて、時間も押しておりますので、続きはVIPルームでお願いします」

場内アナウンスで観客とダイスケは二人で退場。

 

「続きまして、いよいよ本日の選手紹介です!!」

不意にスポットライトが元太を照らしつける。

元太はちょっと顔を強ばらせて、ロープをくぐってリングに上がった。

リング上には、元太と同じぐらいの年頃の少年がレフェリーとしてマイクを握っている。

「青ーコォーナァー……102パウンドォ1/2ぃ……

0戦0勝、本日がデビュー戦となります挑戦者…元太ぁ・ザ・トマホークッ!!!」

それから対戦相手の少年が入場してくるや、またしても大歓声が彼に目掛けて

降り注がれる。

「イイぞー、元太!」

「柔道でもやってたのかその筋肉!!」

それに派手なパフォーマンスで応えながら入場してくるチャンピオン。

ひょいっとトップロープを飛び越えて、スタッとリングに降り立つ。

その身のこなしはやはり何かスポーツをやっている者の動きだ。

年齢は同じぐらいだが、染めてはいないだろうが栗色のサラサラした髪の毛に細身の

体型の対戦相手は

自分よりよっぽど似合っている。

長い手足にしなやかそうな筋肉、まだ幼さが残るものの、目つきだけは

普通の小学生とは明らかに違う精悍なものだ。

「対しまして赤ぁ……コォーナァアアア……67パウンドォ…

4戦4KO勝ち……無敵のチャンピオン、イーグル・リョウおぉおおおおお!!!!!」

紹介された相手の少年は場慣れした感じでリズムをとりながらやるシャドーボクシングが

自分よりも妙にキマっている。

「気をつけろよ元太ぁ、相手はホントにボクシングジムに通って1年になるからな」

「えっ、聞いてねーぞそんなの!」

「勝ちゃ10万だからイイだろ」

 

しかしリングの外では、集金に回る係員に観客が次々と掛け値を言っては財布から

金を手渡している。

「今夜もチャンプに張らせて貰う」

「オレはあのデカい柔道クンに1万だ!!」

対戦相手は元太の体格を見てニヤニヤと不敵に笑うと、わざと顔を近付けて

「ふーん、もってせいぜい2Rってとこか」

「なっ、何を!!」

思わずそのまま殴りかかろうとするところを制止されて一旦コーナーに戻る。

 

「両者リング中央へ!!」

指示に従って、二人が向かい合う。

毎日日が暮れるまで遊び回っているため、筋肉の締まりもよく肌色も黒い元太の前では

、 華奢で色白な対戦相手の体は対比するに天然物と養殖物、といった形容がぴったりだった。

「たっぷり可愛がってやるぜ……」

グッと右拳を元太に向けて不敵なKO予告、

「なっ、何を!?」

元太の顔が戦闘モードに変わってゆく。

それでも相手は、まるで勝利が予定されているかのように不敵に笑う。

「っ……!!」

それが妙に元太の勘に障ったが、闘いを前にしていると思うと丁度良かった。

 

1R開始のゴングが鳴った。

「へへ……それじゃ一丁、やってやるかっ!!」

パスンパスン、とグローブを叩き合わせてから、元太は相手目掛けて突進した。

相手は軽やかなステップで元太の左ストレートを交わす。

キュッ、キュッと靴の音がする。

「ちっ!!」

と軽く舌打ちする元太、勿論それで攻撃が緩むはずがない。

「この野……」

と、体勢を戻そうとした一瞬の隙をついて、相手の一撃が左頬に入った。

「げへっ!!」

それから右胸に立て続けにジャブを5発。

いかに相手に腕力がなさそうとはいえ、殴られればそれなりに痛い。

いや、細い腕には不似合いなぐらいパンチが重いことに元太は面喰らった。

「あぐっ!!」

苦痛で表情を歪める元太。

「へへっ、どう!?俺だってこれぐらいのパンチは出せるんだ!!」

「こんなへなへなパンチが何だっ!!」

元太はぐいぐい前に出るも、そのたびにぺしぺしとジャブを喰らい続ける。

ファイター、というよりも、後ろに下がることを知らない元太の喧嘩殺法も、相手の

テクニックの前では全く逆効果だ。

大体、本格的に習っていた子相手ではガードも攻撃もしようがない訳で、こう殴られ

続ければいかに元太のスタミナといえど効いてくる。

「ホラホラどうしたデカいの、根性見せろ!」

観客から冷やかしの声がして、がむしゃらに前に出ようとする元太。

「おおっ、イイぞデカいの、お前には一杯賭けてんだ!!」

その一言で、自分がどんなリングに立っているかが分かった。

こんな相手に負けるはずなど絶対にないという思い込みで、恐怖や痛みも把握できて

いないようだ。

相手はそのまま、じりじりとコーナーにおびき寄せると、一気に逆に回り込む。

口元が、にっと弛んだ。

元太をコーナーに追い詰めると、ここぞとばかりにそのまま腹となく胸となく猛ラッシュ!!!!

生意気な、と睨み付ける元太だったが、もはや反撃する体力などもうどこにも残って

などいない。

本来のルールならとっくの昔にタオルが投入されているか、レフェリー辺り

が止めに入るところだろうがそれはない。

「そ……そんなあ……」

ゴングが鳴った。

 

元太は、酔っぱらいのような足付きでよろよろとコーナーに戻った。

コーナーに戻った元太に

「ふふふ……どうだ、チャンプはやっぱり強いだろ」

「畜生、話が違うじゃねぇか!!!」

「そりゃこっちの台詞だ、無敵のチャンプにもう少し互角にやりあえると思ったのに、

今回も一方的なKOショーじゃ、賭けも成立しねぇや」

そういうとセコンドはしゃがみこむ。

「なっ!?」

セコンドの行為に抵抗すべく両手で慌ててグイグイ引き離そうとする元太、

しかしセコンドは無言でその『手当て』を夢中で続ける。

「わっ……よせっ!!や、やめろよおっさん、何すんだいきなりっ!」

「静かにしろ、ダメージ回復のためにはこいつが一番なんだ、すぐ慣れる。

チャンプを見てみな」

「うわぁぁぁぁぁぁぁっ、痛ぇぇええっ!!!」

傷口に消毒液を塗ったら滲みるだろう、とセコンド。

セコンド補助の男が背後から上半身をマッサージするが、元太にとってはそれも不本意だ。

「あうっ……やめ………」

カメラ係りが上体をくねらせ苦痛に表情を歪める元太に執拗にレンズを向けている。

観客席から一斉にイヤラしい視線が集まり、元太は思わず泣きそうになったが、

対角線上の相手はそんな慣れない手当て痛がる元太を鼻で嘲笑すると、自分は完全にそれを

楽しんでいるのをアピールするようにガッツポーズ。

観客席から歓声が起こった。

潮の満ち引きよりもゆっくりとした動きで元太の筋肉をほぐしにかかるセコンド二人。

幼く未熟な元太はただただ痺れたように翻弄されるだけだ。

「ハアハア、もう1分以上経ってるだろ、離せよ!!」

「何言ってるんだ、小学生ボクシングは休憩は3分なんだよ、でないとすぐに

体力なくなってバテちまう。客がそれじゃあ喜ばないんだよ」

本当の意味でこのビデオカメラと観客たちの求めているものが元太には分かった。

 

2R開始のゴング。

セコンドたちから逃げるようにリングに飛び出した元太に、

「へへへっ、お前の体、そんな図体してても赤ちゃんみたいなんだな、まだ」

「う、うるせぇ!!」

さすがに、日頃から泥んこになって遊んでいるせいか、基礎体力はある。ちょっとぶ

ちのめされたからといって、すぐにへこたれる元太ではない。

「へへっ……そうこなくっちゃ!!」

「この野郎……このRでブッ殺してやる!!」

しかし、相手は今までとは打って変わって、防御に徹してはひょいひょいと元太

から逃げ回る。

「こんにゃろっ!!逃げるなっ!!」

元太の左ストレートをバシバシ受ける相手の右腕が、ちょっとだけ腫れてきた。

やはり喧嘩慣れして、闘う筋肉もそれなりに鍛えられた元太の腕力は普通とは格段に

違う。

「ウラッ!!」

元太のアッパーが相手の顎を捕らえた!!

たまらず相手は白目を剥いてダウン。

「へへへへへ、どんなもんだ……」

レフェリーは元太にニュートラルコーナーに移るように指示し、移動を確認してから

「ダウン!!」

しかし、もうそれだけで余裕で5秒は経っているのだが、それからワンテンポ置いて

「ワーン!」

とやけに長いカウントコール。

「バカッ、立てリョウ!!」

セコンドから檄が飛ぶが、相手は大の字になったまま、目をギュッと閉じて大息をするのみ。

それから相手側のセコンドが元太のセコンドに何か手渡しだす。

「リョウちゃんそのままネンネしてな!!負けた分はオジさん、体で払って貰うからよぉ!!」

「ツーウ!!」

「あっ……あっ……」

観客の言葉におびえるように立ち上がろうとする相手だが、足に力が入らない。

「スリーイ!!」

と、そこでゴング。

 

椅子に座った相手はコーチに頭からウガイ用の水をかけられ、

「バカッ、素人ガキ相手に何やってるんだ!!」

「ハァハァ、スイマセン……」

「まぁいい、そろそろグローブにコレ塗るか」

ニヤッとピンクの粘液状の小瓶を取り出すと、セコンドはネチャネチャとその

甘い香りの妖しい液体を満遍なくグローブに塗り付けた。

 

3R。

「フン!!フンフンフンッッッ!!!!!!!」

ゴングが鳴るなり、元太は力まかせに相手を壊しにかかった。

もうこんな試合に付き合っていられない、相手をさっさと倒さないと……。

その鬼気迫る様子に、レフェリーはたじろいでそのまま呆然としていた。

「バカ、リョウ、手数増やせ!!」

レフェリーの指示通りぺしぺしと当てにくる少年、しかしそれはあくまで

ポイント稼ぎにしかならず、もはや威力などない。

「ふふふっ、どうしたどうした……」

ヨロヨロと逃げる相手を深追いするうち、元太はふと酔っぱらったような

感覚に襲われ、急に視界や意識がぼやけてきたのを感じた。

「!?」

元太の心臓がどきどきと高鳴ってくる。

ビー玉のような汗が動く度に元太の肌から弾け飛ぶ。

殴られた部分が火照り、体温上昇にともなって、汗でねっとりと湿ってきた。

……おかしい。

これは汗だけの感触じゃない……。

「へへっ、すごいでしょ……」

怪訝そうな様子の元太に、少年はにやりと口元を緩めた。

「お前……何か細工してやがるな……!?」

「ちょっと神経の薬をグローブに塗っておいたからね……そろそろジンジンしてくる

でしょ……」

「そ……そんな……」

かああっ、と頭に血が昇ってきて、脳が爆発しそうな感触が元太を襲った。

怒りとはまた違う、燃え滾るような感情が元太を支配していた。

必死にそれを振り払おうとする元太だったが、所詮小学生に何ができるでもない。

「ほうら……もうしょうがなくなってきてるんじゃないの?そうだよねえ?」

「……」

必死に唇を噛み締めて、言葉を飲み込む。

「もうすぐ、何も考えられなくなっちゃうぜ……どんな大男でもそうだったんだから」

それから、一撃食らった相手はマウスピースを不自然に吐き出すと、足を

使って回り込んでから一気に反撃に出た。

「ふふふふっ、動け動け、その方が薬も早く回ってくるからな」

元太の動きが鈍ったのが分かったらしい。

「調子に乗って動き回ったせいで随分効いてきたようだね……」

「この!!」

元太の右で飛び出すマウスピース、しかし

「リョウ、倒れるな、クリンチクリンチ!!もたせろ!!」

少年は慌てて元太にしがみつくと、胸に顔を埋めた。

「やめろ!!何のつもりだ!?」

「……ただのクリンチだよ……」

それから相手の右が………。

グッチュ……グッチュ……。パスン、パンパン!!

薬が汗で溶け出して粘つくところに少年の慣れたボクシングテクニックによる攻撃、

多分今まで多くの少年を葬ってきたのは明らかな少年の右連打が元太を攻めあげる!!

元太を極限まで追い詰める少年の右。

「はひいっ、レフェリイイイッ、何やってんだよおおっ、コイツ、オレの……」

元太が叫ぶと、面倒くさそうにレフェリーは渋々近くに来て、

「ブレイク、離れなさい」

しかしそんな気のない指示には耳も貸さない相手。

「レフェリー、マジに何とかしろよぉ!!」

「……離れて!!」

やっと間に割って入ったところで一旦は離れたものの、ヌルヌルになった元太の上体

に重点的に連打!!!

グローブに塗られた薬がみるみる溶け出して、元太は全身の力を失い、ロープにもた

れかかった。

「あぐうううっ……八百長じゃねぇか…う、……うおおおおおおおっ!!!!」

「……フィニッシュブローだ!!!」

元太の視界が一瞬真っ白になった。

ボタ、ボタ……!!!

膝が激しくガクガクと震えてからすぐ、元太からリングのマットに滴り落ちる。

「あああ……」

相手はそれをペロッと舐め取ると、満足したように

ボスゥン!!

それから強烈なボディーブローが入って、元太はあえなくマットに沈んだ。

すかさず、レフェリーが相手をニュートラルコーナーに追いやると、カウントを始める。

「1!2!!3!!!」

カウントが場内に響くも、元太はひくひく痙攣するだけで、全く起き上がる様子はない。

べろりと大きな舌を出し、その脇からは泡が出ているし、御丁寧に目や頭上には

無数の星がぐるぐる回っている。

「4,5,6!!」

「何やってんだ、立てえ!!!」

「オイオイ、これで終わりかよデカいの!!」

「7,8,9………10!!!ノックアウト!!ノックアウトォ!!!!」

ゴングが打ち鳴らされる。

 

「ただ今の試合、3R1分58秒、チャンピオン、イーグル・リョウのKO勝ち!!

なお、ルールにより初戦で負けた元太選手は強制引退となります!!」

あっけないボクサーとしての死刑宣告。

 

「さーてと、オレ、さっきからトイレ我慢しててね……」

トイレ!?

ハッと元太が目を開けると、案の定少年は、イジワルそうな表情でニヤニヤ笑いつつ、

たまにギュッと目をキツめにまばたきしながら元太の顔を覗き込んでいた。

「やめろ、そんなの……汚ねぇっっっ」

しかし、少年は今まで相当我慢していたのだろう、

「出るぞぉ、出るぞぉ……しーっ……」

「うおおおおおおおお〜っ!!」

 

しかし、観客たちはそんな相手に拍手と喝采を贈り、それにちょっと疲れてるけど

得意そうな笑顔で、両手を挙げてゆっくりとリングを一周して勝利をアピールする。

「ほら、しっかりしろよ、お前にはまだ大事な仕事が残ってんだからよ」

「……」

セコンドに起こされた元太の前には、30代の長髪の太った観客がニヤニヤと笑って立っている。

「このお客さんが今夜お前に一番賭けてて損したんだ!!」

 

 

こうして元太・ザ・トマホークのボクサー生命はあっけなく終わってしまった。

しかし、薬で恍惚とした元太の記憶はその手前で途切れている。

次に目を覚ましたのは、声をかけられた場所近くの路地裏。

タオルでキレイにして貰って、怪我の手当ても済ませた後に衣服を元に

戻されてうずくまっていたらしい。

 

一週間後。

元太は町外れのボクシングジムの門を叩いていた。

「金田元太っス!!よろしくお願いします!!」

「元気がいいな、結構結構。オイリョウ、やっと同じ小学生が入ったな、ははっ」

元太の闘いはまだ始まったばかりだ。

 

 

(終わり)

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