大隅ジムの子供たち

 

   混沌。意識があるようなんだけど、体は動かせない状態。

 

   寝てるんだか起きてるんだか自分でもわからなくて。

 

   感じるのは、揺れているな、という感覚と、優しい安らぎ。

 

   やがて感じた光に手を伸ばそうとして・・・僕は目を覚ました。

 

 

                     『第二章 出会いと入門と 前編』

 

 

「ここは・・・」

 目を開けた僕の視界いっぱいに、見たことのない天井が広がっている。

「え、と・・・」

 とりあえず目が覚めたので、起き上がろうとする。けど

「・・・ぃっ!!」

 僕の体は言うことを聞いてくれず、代わりに激痛が全身を走る。

 あきらめて横になっていると、体のあちこちが<<熱く>>なっていることに気がついた。

 自転車で転んだ時、湿布を張ってもらってしばらくした時のような、ひりひりする感じ

の<<熱さ>>・・・それが、体のあちこちにあって、そのせいで僕は動けなくなっているら

しい。

「何が、あったんだっけ・・・」

 こんな風に見知らぬ場所で横になっている理由を、ゆっくりと思い出してみる。

 確か、学生服の人たちに殴られて、蹴られて、それで・・・

「気がついたみたいね?」

 不意に、柔らかい声がした。

 声がした方へゆっくり顔を向けると、ちょうど、長い髪のお姉さんが椅子に座るところ

だった。奥の机に救急箱があるところを見ると、多分、このお姉さんが僕を治療してくれ

たんだろう。

「動ける? もっとも、多分まだ歩けないでしょうけど」

「どこ・・・ですか、ここ」

 お姉さんは質問に答えてくれる代わりに、僕の背中に手を回し、なれた感じで僕を座る

格好にしてくれた。

 開けた視界に飛びこんできたのは、とこかの学校の事務室を思わせる光景だった。

 僕が寝かされていたソファーとセットになってるはずのソファーとテーブル。いくつか

の事務机と椅子。机の上のパソコン。書棚の中のファイルの数々。僕の記憶よりも2時間

ほど進んだ時計・・・ただ、僕の学校の事務室と大きく違うのは、正面の仕切ガラスの向

こう側。

 広そうな部屋に、テレビで見たことのある器具がいくつも置かれ、しかもそれらはだい

ぶ使いこまれてるように見えた。

「・・・ボクシングジム?」

「ご名答。やっぱりガチンコはメジャーよねぇ」

 ・・・解答に至ったテレビ番組を、ズバリ当てられてしまった。

 けどなんで僕が、どこだかわからないボクシングジムで殴られた怪我を治療されている

のか・・・そこまで考えて、ようやく僕の記憶は完全につながってくれた。

「あの・・・僕を助けてくれた黒コートの人は・・・?」

 よく見たら、事務室の入り口付近の椅子に、黒コートかかけられてはいる。けど、当人

がいない・・・そう思った直後、タイミングを合わせたのようにこの事務室に、ビニール

袋を下げた誰かが入ってきた。

「・・・気がついたか」

「たった今ね」

 近くの・・・いや近くはないけど、僕も見たことがある、私立高校のエンジ色のブレザ

ー。それを着たお兄さんは、僕を見るとうっすらと笑みを浮かべた・・・さっきの声、そ

れにこの笑み・・・

「え、と・・・すいません。助けてもらっちゃって」

 僕を助けてくれた黒コートの人だった。高校生だったのか、この人。

「気にするな星野聖。動けるようになるまで、しばらく休んでろ」

「相っ変わらずな言い方ね・・・ま、私としては秋月君が人助けなんてした時点で、4月

なのに雪が降るんじゃないかって、そっちの方が心配なんだけど」

「あのね藤村さん・・・4月に雪って、俺はどこぞのイマジネーターですかい?」

「あ、だからこの前花見時期に雪降っちゃったとか!?」

 どこか疲れた様子でため息をつくと、黒コートのお兄さん・・・秋月さんは、手にして

いたビニール袋からポカリを取り出し、無造作にプルトップを開けた。

「・・・飲めるか?」

 差し出された缶を受け取り、口をつける。とうやら相当喉が乾いていたらしく、中身を

飲み干すのはあっという間だった。あれ・・・ところで・・・

「あの・・・僕の名前、どうして・・・」

 僕が言うや、秋月さんは答える代わりに静かに、かつ素早く部屋の入口に移動した。

 静かにドアノブを回し・・・思いきり引くと、どたどたっ、と、かなり派手な音がした 。

「・・・ま、こう言うわけだ」

 少し呆れたように秋月さんが言うや、音の原因たちが口々に何かを言いながら立ち上が

る。

 どこか見覚えがあるような、僕と同じ位の年齢の少年2人と少女・・・って、春休みに

はいるまでの僕のクラスメイトじゃないか!!

「・・・と、とりあえず、ようこそ、大隅ボクシングジムへ!!」

 3人を代表するかのように、誤魔化すように少女が敬礼してくれた。

 ・・・はぁ。

 

 

「まったく、ジムに来たらクラスメイトが担ぎこまれて気絶してるんだもん、そりゃ驚い

たわよっ!!」

 僕の正面、応接セットのソファーに座り、言い切るように少女・高倉葉月ちゃんが言う 。

「ま、まぁ大した怪我じゃ無かったんだからさ・・・」

 怒り出して暴れそうな葉月ちゃんを、彼女の右側に座っていた双子の兄・直樹君がなだ

める。左側に座っているもう1人・土岐龍馬君は、この光景を慣れているのか『触らぬ神

に』とでも思っているのか、秋月さんから受け取ったジュースを平然と飲んでいる。

 で、僕はといえば、正面でその光景を見ながら、まだ体が思うように動かせない有様だ

った。

 3人と入れ替わる形で出ていったお姉さん・・・藤村さんの話では、急所などはうまく

外れてくれていたらしく、動けないのは単に打ち身が酷いからで、しばらくすれば歩ける

ようになるし、後遺症も残らないはず、との話だった・・・もっとも、あくまで応急の見

立てと処置なので、今夜一晩様子を見て、明日ちゃんと病院で検査してもらった方がいい

、と釘をさされたけど。

 ・・・それにしてもこの3人、春休みにはいる前、学校でやけに仲がいいとは思ってい

たけど、学校終わった後でこんな所に来てたからか。

「でも・・・問題無いんですか? 彼をこんな所に連れこんだりして」

 妹をひとまずなだめる事に成功し、ひと段落ついた所で直樹君が言った。

「警察、届け出た方がよかったんじゃ・・・」

「そぉだよな、秋月さん、誘拐犯に間違われたらたまんねぇもんな」

 ・・・冷静になって考えてみると、僕がここにいる、と言うことは、あの後秋月さんが

黒コート姿で僕をここへ連れこんだ、ということで・・・直樹君たちの言う通り、誰かに

見られて問題になって無い方がおかしい。

 思わず僕たち4人の視線が僕たちの様子を見物していた秋月さんに向くと、当の本人は

また、さっきのようにうっすらと笑みを浮かべた。

「・・・頼るべきは人脈。ま、修次に言わせりゃ本庁の方には志摩崎さんやら知り合いが

いろいろ居るって話だし、加えて奴の師匠の叔父とやらが県警の刑事って話だし、俺の誘

拐犯説は軽く消せるさ・・・親にも連絡済みだしな。

 殴ったことに関して言えば、連中には大怪我ってほど殴ってねぇし、訴え出たら出たで

自分たちの暴行事件明るみに出る以上、表沙汰にはならねぇ。ま、連中のお礼参りに関し

ては・・・」

 そこから先の言葉は小声で、しかも口に手を当てしまったため、僕たちが聞き取ること

はできなかった・・・でもなんか、物凄く危険な感じがするのは気のせいだろうか。

「と、ところで、彰さんに助けられた時って、どんな感じだったの?」

 なにやら危険な感じがしてきた空気が、葉月ちゃんが話題を変えたことで消え去った。

そういえば、僕も聞きたかったんだっけ。

 軽く・・・ぼんやりと残る記憶の限りを、思い出すように下を向きながら言い、最後に

「凄く・・・強いんですね。秋月さんて。4対1で、しかも武器まで持ってたのに、

何事でもないようにあっさり倒しちゃうなんて」

 そんな事を付け加えると、葉月ちゃんが当然、と言った感じで

胸を反らした。

「この前の夏のインターハイ・ライト級優勝。しかもその試合の七割がノックアウトかレ

フリーストップと言う圧勝ぶりで、ついた異名が<<第二の赤井英和>>。もっとも、普段の

その姿から、東神奈川の高校生には<<聖風のアーカード>>って言われ、恐れられてる・・

・ですよね、彰さん!!」

 インターハイを圧倒的強さで優勝・・・あの強さ、高校生でも1番になったことがある

から当然なのか。

ちなみに<<聖風>>っていうのは秋月さんが着てるブレザーの私立高校で・・・でも、アー

カードって・・・

「・・・っていないし!!」

 葉月ちゃんが大声をあげた。椅子に座っていたはずの秋月さんは、僕がみんなの意識を

集めて話していた、そのわずかな間に消えていた。ご丁寧にも、入り口付近のコートも無

くなってる。最初に助けてもらった時と言い、気配が無いのか、あの人には!?

 その、僕たちが見てる前で事務室の入り口が開いて、秋月さんの代わりに、葉月ちゃん

たちと入れ替わりで出ていったはずの藤村さんと、たぶん年齢は僕の父さんと変わらない

ぐらいの、不精髭のオジサンが入ってきた。

「こいつか、秋月が拾ってきたというのは?」

 慌てて3人が立ち上がり、オジサンに、学校では見せないような丁寧な挨拶をする。オ

ジサンが軽く応じると、3人はあらためてソファーに座り直した。

「・・・ま、見ず知らずを病院運ぶより、打ち身打撲なんかのノウハウ確かなこっちに連

れ込んだ点は、及第点だな」

「私は的確だと思いますけど・・・」

「俺やお前、義和が居なかった場合、という要素を考えてない・・・ところで、親御さん

に連絡は?」

「連絡網調べてもらって、すでに。時間的には・・・もうそろそろ、来ると言われた頃で

す」

 冷静かつ淡々とした、物凄く事務的な会話。

 よくわからないけど、みんなの態度からすると多分この人が<<大隅>>さんなんだろう。

「どうも・・・ご迷惑かけてしまってすいません・・・」

「別に構わん・・・それと、何もしたりしないから安心しろ」

 ・・・よっぽどおびえてるように見られたらしい。でも実際、歴戦の凄味、とでも言う

のか、この人か時折見せる視線の鋭さは、学生服たち何かと比べものにならないくらい、

恐い。

「で、拾ってきた当人はどうした?」

「気がついたら居なくなってました」

「逃げた方に腹筋10回」

「・・・カケにならんな、それは」

 オジサンの質問に葉月ちゃんか答え、藤村さんが即座に反応、やや間をおいてオジサン

がため息をつく・・・これが、絶妙の呼吸による軽妙な会話、と言うものだろうか?

 それにしても<<逃げた>>って・・・秋月さんの行動も問題だけど、それに対して呆れた

感じで納得している、みんなの反応も反応もなんだか問題ある気が、するんですけど・・ ・

 などと考えていたら、外の方から女性の・・・母さんの声がした。

 藤村さんが即座に反応し、事務室の扉を開けて迎え入れる。

 挨拶やら感謝の言葉やら、ばたばたしたやりとりの後、オジサン(やっぱりこの人かオ

ーナーの大隅さんだった)が、机の上にあったメモ用紙を1枚、母さんに渡した。

「かかりつけはあるでしょうけど、いちおう我々がお世話になってるこちらの方の病院に

連絡をいれておきました。今夜中に連絡してくだされば、明日午前中に診察してくれるそ

うです」

 殴られた怪我を治療してもらった上、病院まで紹介、しかも連絡ずみというあたり、何

から何まで実に手際がいい。

 先手先手を打っている、と言うか・・・きっと、試合に臨むにしても選手の体調何かを

ちゃんと考える人なんだろう。

 で、僕は大隅さんに背負われて母さんの車に乗り、家に帰ることになった・・・車の中

で母さんが何か言ってたけど、色々あって疲れてて、車に乗ったら安心してしまったのか

・・・眠くなってしまい、僕にはほとんど聞こえてなかった。

 

 

 帰ってすぐ、母さんはかかりつけの病院に電話したけど、そっちは予約が妙に多いらし

く、時間待ちが長いと言うので、教えてもらった病院に連絡して、言われた通り一晩おい

て診察してもらった結果、問題はまったく無い、とのお墨つきをいただいた。

 ボクシングや格闘技をしている人たちを何人も診察してきた、専門家とでも言うべき人

の言葉に安心し、それでも母さんが心配したので、大事をとって、その日もゆっくり休ん

だら・・・次の朝、僕の体は動きたくてうずうずしていた。

 こんな、体中が動きたい、なんて言う感覚は、僕にとっては初めての経験で・・・驚く

とともに、少し戸惑ってしまう。

 気がつけば、春休みも今日で終わり。

 どうしようか悩んで・・・とりあえずまず、走ることにした。

 目的地は、当然大隅ボクシングジム。昨日、病院に行く時に見かけて、家までの道筋は

だいたい覚えておいたから、それとほど迷わずに目的地にたどり着けた。

 大通りから少し外れて内側に入った所にある、三階建てのマンション。

 けど、1階のジムの部分の天井がやや高いため、他の三階建てマンションに比べると、

頭1つ分くらい上に出ている。

 とりあえずまず、ここに来た目的である助けてもらったお礼を言おうと思ったんだけど

・・・しかしジムの練習開始は午後三時から、と入り口に書いてあり、中に入ることもで

きず、周囲も物凄く静かだったので、ひとまず1度帰ることにした。

 

 家に帰るや、父さんの部屋に行き、パソコンを起動させてネットに接続。

『大隅ボクシングジム』で検索をしてみると、いくつか、雑誌の記事やらがあったので、

それを見てみる。

 それに、藤田と言う人が管理人をしているジムの専用ホームページがあったので、じっ

くり読んで予備知識をえることにした。

 それでも結局、時間はものすごく余ってしまい、予習をして時間を潰す・・・午後三時

になるのが、ものすごく待ち遠しくてたまらなかった。

 

 で、気がついたら午後3時25分と言うあたり、僕としても何がなんだかわからない。

 少し余裕をもった、と自分に言い訳しておこう。

 さっそく行動開始。

 大急ぎで玄関に行き、靴をはく・・・紐を結ぶのが、すっごくもどかしい。

 出ようとしたところでちょうど、母さんに呼び止められた。

「ちょっとジムに行ってくる。僕かちゃんとお礼言ってないし」

「そぉ。気をつけててくれればいいんだけと・・・ほら、昨日の朝ニュースて言ってたで

しょ、暴走族の喧嘩。それで<<なんとか騎兵>>とかいうグループが、入院者多数で解散し

たって話・・・いつでも助けが来てくれるはずも無いし・・・」

「大丈夫、危なくなったらちゃんと逃げる。それでいいでしょ? ・・・行ってきます!

!」

 玄関を飛び出し、朝行く時には使わなかった、折りたたみ自転車にまたがる。

 昨日の夜父さんが買ってきてくれたばかりの新品は、柔らかくなってきた春風の中、軽

快に僕を運んでくれた・・・

 

 

             <<続く>>

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