夏の日の思いで2

 

第1話   哀と涙の夏休み

 

夏休み直前だというのに、下校中の純の表情は優れなかった。

ミンミンと、ますます調子づいてきた蝉も、本人には鬱陶しいだけで、

終業のチャイムが鳴った途端に純はランドセルを背負い、無言で教室を立ち去った。

「オイオイ、ちょっと待てよぉ!」

慌てて後を追い掛ける力丸。

「・・・・・・!」

口をちょっと尖らせて、なおも不愉快そうに、わざと歩きを速くさせる純。

「いいじゃんか別に〜〜〜!!」

「よかないよっ!」

 

事のはじまりは、今朝の学級会。

珍しく力丸が議題を提案したから、クラス一同、嫌な予感はしていたのだが、

それは気持ちのいい程に的中していた。

「えっとぉ、夏休みのラジオ体操、面倒なのでなくしたいと思いまァす!」

あまりにも唐突な提案に、クラス一同ざわめいたが、その反応が気に入らないと

みえて、

「何だよ、お前ら去年、散々イヤだって言ってたじゃんか〜!!」

しかし、そこで学級委員の声すら遮ったのは孝次だった。

「そんなこと通るかよっ!駄目だ駄目だ!」

寺の次男坊のせいか丸坊主で、デコっぱちの孝次は、純が転校する前から

何かと力丸と意見が対立していたが、今回も御多分に漏れず、といった反応だった。

「るっせ〜なぁ、ロンリテキに説明してみろよ、ロ・ン・リ・テ・キ、にっ!」

純との会話で憶えたての単語で応戦する力丸だったが、そんなことでひるむ

孝次ではない。

結局、その時間では話に折り合いがつかず、平行線のまま、最終決着は終業式の

日までもつれ込むことになった。

それから休み時間、事件は起こったのだ。

 

「おい、西野っ!」

孝次だけは力丸のことを苗字で呼ぶ。

それは自分と力丸との距離をおいているというさり気ない意思表示のつもりだったの

だが、当の力丸にそんな行間を読む頭などあるはずもなく、全く意に介しない様子で

「何だよ?」

とダルそうに答える。

目もとが既に眠そうで、こういうモードの彼にはあまりストレスを与えない方が無難、

というのはクラス全員が分かっているのだが、そんなことを考慮する孝次ではない。

犬猿の仲だからと無視、というのもカッコ悪いと思いつつも、そういう変に

正義感の強いコイツと話すと、力丸としては厄介なことこのうえないのだ。

できれば相手にしたくない。

そんな態度でダルそうに、机につっ伏した上半身をゆっくりと起こすと、

「お前、常識で考えてみろよ、何考えてんだ!?」

「・・・・・・・お説教なら間に合ってる」

力丸にとっては孝次が自分をどう思っているとか、今の論点がどうかなどと

言うことはどうでも良かったのだ。

何せ、昨日は兄の鉄丸がビデオ編集をするというので、それに付き合っていて、

それがほぼ徹夜だったもんだから、眠くて眠くてしょうがない。

それにしても、出演していた女の子が可愛かったな、などとまどろみながらも

思い出してはニヤつこうとしていたのを邪魔されている、今この状況を

どうにかしたいという気持ちだけである。

やいのやいの何かがなり立ててはいるが、力丸はそれを騒音としてしか認識していな

い。

散々数分間、ヒステリックな抗議を続けてから

「どうなんだよ西野!黙ってないで答えろ!」

「るっせぇなぁ!いつもいつもいつもいつもやることなすこと文句つけて!」

バン、と机を叩いてからすっくと立ち上がった。

もう傍で騒がれるのが我慢できなくなったのだろう。

 

教室の空気が変わった。

「お前な、いい加減にしろよ?」

席を離れてユラリと近付く力丸、すわ、殴り合いか、と思ったが

「そんなに俺の意見に反対ならよ、男同士、コイツで決着つけてやろうじゃねぇか!」

力丸はグッとその大きな握り拳を突き出すと、孝次の頬に当てて、グリグリと

数回こすりつけた。

「っ・・・・・!!」

「どうした、怖いか?ああん?」

力丸の挑発に思わず、その腕を振り払って

「そんなことで俺が後にひくとでも思ったのか!?バカにするな!」

と孝次。

「・・・・・いいだろう、勝負はあさっての放課後だ!覚悟しとけ?」

力丸はニヤニヤしながら、孝次が上目遣いで鬱積した気持ちを無言で

訴える表情に満足しつつ

「タップリ可愛がってやるよ、コイツがな!!」

「・・・・・・・え?」

孝次と純が同時にハモった。

首根っこを掴まれて孝次の前に突き出される純は、一瞬事態がよく飲み込めず、

無表情のまま、所謂『固まった』状態になったが、それからやっとワンテンポして

「お前がやんないのかよ!」

とさまぁ〜ずの三村のごとく力丸にツッコんだ。

「は?」

さも純の言い分の方が不可解、とでも言いたそうな力丸のリアクションに更に純は

ムッとしたが、そんなことなど構わず、

「・・・・・・・・・ふ〜・・・・・純、お前、国語とか算数得意だけど、

こういうコト全然知らないんだな?」

と、妙に落ち着いた口調で、しかもどこか優しげですらあるように

「あのなあ、ボクサーが何故みんな痩せてるか知ってるか?」

「え、減量とかしてるから・・・・・」

「ああ、まず話はそこからだな。で、どうして減量しないといけないかというと、

脂肪が体重を増やすからだ、そこまではいいな?」

純の理解を念入りに確認しながら、

「で、どうして体重増えちゃいけないかというと、それはボクシングという

スポーツは、体重によって階級が分けられてるからなんだ。ガタイがデカいと

そっちの方が有利だろう?」

純も段々と話の流れから、力丸の意図が読めてきはじめた。

「そこでだ、あの孝次のバカと俺様とじゃ、階級は違う、しかし孝次の体重なんかに

してたら俺のこの自慢のボディーが台なしだし、第一試合に間に合わない。いいな?」

「・・・・・・・・・・。」

「そこでだ」

「やだ!」

ここで力丸に言葉を続けさせてはいけない、と純は思った。

もう、触りだ話しただけで構築されたロジックがこうまでモロバレになる男も珍しい。

「いや・・」

「やだ!!」

「だからな?」

「絶対駄目」

ピシャリと純は拒否の姿勢を明確に打ち出した。

「ふ〜・・・・・・・純がここまで手間のかかる奴だとは思っても見なかったな」

ちょっと力丸は覚悟したように

「話を変えよう。お前、アリとキリギリスの話は知っているか?」

「うん」

「だからな・・・・・」

そこから滔々とあらすじを説明し始める力丸。

「と、いうことで、アリはキリギリスを助けなかったわけだ」

「うん」

「で、だな〜、この話で俺が何を言いたいかというとだな〜」

数秒間の空白。

「え〜っと・・・・・・・」

力丸の動きが完全に止まり、表情に焦りの色が見え始めた。

「結論とやらを聞こうか」

などと純も温かくフォロー。

「・・・・・・・・・・・」

「ここまで話を引っ張ったんだ、僕をどう納得させるか、その鮮やかな

テクニックを見せて貰おう」

力丸の目が泳ぐ。

「・・・・・・・もういい。自分でも見えない話をされてとんだ

時間の無駄をしてしまったようだから僕はちょっと図書館に本を」

プチッ、と何かが切れる音がした。

「るっせぇよ!!!ダチがちょっと困ってる時に加勢ぐらいできねぇのか

この薄情者!!!そうだ、お前はアリだ、身勝手な・・・」

「ムチャクチャに話を摺り替えるなぁぁぁぁ!!!!」

もう既に、孝次の存在など力丸の頭に残っているはずもない。

「るせぇ!!チマチマチマチマ理屈ばっか並べやがって!」

「さっき孝次に『論理的』とか言ってたくせに!!」

そこから先はもう話に収集がつかなくなったが、まあそんなところである。

 

「う〜〜〜!!!」

「何をそんなに怒ってんだよ〜〜」

無自覚な力丸の発言にまたしても純、

「力丸さぁ、ちょっと勝手すぎだよっ!・・・・・そりゃさ、僕だって

ラジオ体操するのは嫌だよ?だけど、どうしてそんな・・・・」

「いいじゃんかぁ〜〜!自由のための闘いなんて、今日社会でやってたし」

確か先生が一向一揆を話していた時、力丸はいびきかいて寝てたような気が・・・・

そう思うと、純は全くもって力丸のことがわからなくなるのであった。

「そんなイイ話じゃないでしょ!?たかがこんな、地方の小学校のラジオ体操

どうこうって、ものすごくスケールの小さな話じゃないかっ!」

「スケール小さかったら困らないのか!?純、お前は折角の夏休みだって

いうのに、夜更かしできないのは小さな問題なのか!?」

「・・・・・それは・・・・・・」

純がトーンダウンしたところで

「純、この前、お前がうち泊まってった時な。家族みんなで、もう一人

子供ができたみたいだなって話してたんだ・・・・」

「えっ・・・・・・・」

力丸は、足下の石を蹴りながら、

「ほら、うちってさ、みんなガチャガチャしてるだろ?都会育ちの純みたいな

ヤツはちょっと新鮮でさ・・・・・・正直、楽しかった」

「力丸・・・・・・」

しばらく蹴っていた小石が道ばたの農業用水に落ちてから

「俺、これからも一杯一杯、お前と徹夜で遊びたいんだよ!!駄目か!?」

純は言葉を失ったまま、しばらく考え込んだ。

「色んな漫画やゲームや・・・それに話もしたいし・・・・・嫌か?」

「そんなことないよっ!!!」

反射的にそう答えていたところに孝次。

「よぉ、矢島も西野の子分になり下がったみたいだな?少しはマトモそうな

ヤツだと思ってたのに」

「そ、そんな言い方するなっ!」

「だってそうじゃないか。君たちは話し合いを暴力でつけようっていう、ほとほと

見下げた連中だからな。まあいいさ、矢島には負ける気しないから」

「なっ、何を!!」

純は真っ赤になってから

「お前なんかなぁ、僕にかかれば1ラウンドももつもんかっ!!」

純は親指をグイッと地面に向けて威嚇の仕種をしてみせた。

「こっちこそ、そんなムチャクチャな連中に負けるような不様な真似はしないね」

「言ったな!?覚えてろよ!?・・・・・・・行こう、力丸!」

と、それからおよそ1分。

無言のままの純に

「そうカリカリすんなよ純、アイツはいつも俺たちには・・・・・」

「あ・・・ああ・・・・」

純の声が震えている。

「?」

「エライこと言っちゃったよぉぉぉぉ!!!!」

今頃事の重大さに気付いた純。

「どうしよう?ねえ、どうしたらいいの!?僕、もうあんな試合なんか

嫌だからね!」

「いや、男なら勝負を受けた限りは・・・・・・」

「受けたも何も、そもそもそっき力丸がまた泊まりにこいって言うから」

「・・・・・・・・・いや半分ネタだったんだけどなそれ」

「ネタかよっ!!」

「ああネタだ、ネタで何が悪い!そんなことより純、お前転校してから確実に

日増しに性格変わってるぞ!?」

「るっさいるっさいるっさ〜いっ!!」

こうして純の次なる対戦のカウントダウンが始まったのだった。

また一歩、普通の小学生から確実に遠のいてしまった純。

その前途は限り無く多難であった。

 

(つづく)

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