夏の日の思いで2

 

第2話   流されるまま流されて

 

純の自宅。

部屋のベッドで、力丸から借りた漫画雑誌を寝そべって和也が読んでいる。

この1時間、ひたすら現実逃避のために、事前に配られた『夏休みの友』を

こなす純。とりあえず、さっき一番面倒な書道の課題を済ませてドライヤーで

仕上げたところだが、イヤラしいまでに続く平易な算数の計算問題が煩わしいので、

短時間で済む国語の課題の方に手をつける。

そうそう、それから絵と読書感想文なんかもあるわけだが、もう面倒なので、

去年の作文をそのまま丸写しにするという大技に出る予定だ。

どうせ転校元の記録など分かるはずもなかろう、そのまま押し切ってしまう。

こんなことをしているぐらいなら、さっさと塾の代わりにしている通信添削の

課題に手をつけておきたいのに・・・・・・。

しかしそんなことをしていても、ふとページをめくって思考が一瞬途切れた

時に現実に戻ってしまい、

「あ〜あ〜、あんなこと言っちゃったよ〜」

両手で頭を抱えたまま、机に突っ伏した純を、和也が心配そうに

「どうしたの、お兄ちゃん?」

純に似て、さらさらの髪の毛は、窓からの日差しで栗色に見える和也。

「ううん、平気だから心配しないで、ごめんね」

そうとだけ言うと、こうやってチマチマ宿題や通信添削の課題をこなして

いても何も心理的なことは解決しないと思い、大きく深呼吸すると、

意を決したように

「よっし、和也、お兄ちゃん、ちょっと散歩に行くね。その間、ゲームとかしてて

いいから。お母さんには、夕飯までに帰るって言っといてね!」

「え〜、お外暑いよ?」

「ううん、海岸の方は涼しいから。お菓子は僕のも食べていいよ」

「やったあ!」

そうとだけ言うと、純はさっと立ち上がって、そのままあてもなく、道なりに

引っ越したばかりの村を散策した。

力丸との勝負からそんなにまだ時間が経ってないのに、今ではすっかり、その

景色に自分が馴染んでしまったことが、ちょっと嬉しかった。

肌の色はやっと今頃になって、周りの子ぐらいに黒くなりそうな感じだが、

今東京に戻ったら、みんなどんな顔をするだろう。

いや、それは考えるまい。

あの街はちょっとイヤな思い出が多すぎる、そして、こっちの連中と一緒に

いる方がうんと楽しいのだから。

と、気がついたら、やっぱり足は力丸の家に向かっていた。

垣根の向こうには、白い綿のランニングシャツに作業ズボン、ゴムサンダルといった

いかにもな恰好で力丸の父親が、ホースで敷地内のトマトや茄子に水をやりながら、

ちょっとふざけて放し飼いにしているチャボたちを追い回している。

こういうちゃめっけが力丸のあの性格を形成させてしまったのだろう、縁側では

お爺さんが涼しそうな浅葱色の夏着に扇風機でしばし涼をとっている。

「おぉ、純君!」

気がつくなり、力丸そっくりの人懐っこい笑顔を見せて手招きするので、

純は会釈をしてそれに従った。

「今日は力丸は海の方いるみたいだぞぉ、麦茶飲むか?」

「あ、いえ・・・・麦茶はもう・・・まあ・・・・」

「でもアイツ、ちゃんと学校で勉強してるのか?もうワシ、アイツが家で

勉強しているところなんか見たことなくってなあ・・・・・」

それは鉄丸も同じことだったんじゃ、と言おうと思うのを我慢しながら、

「え、ええ、まあ・・・・・・」

と苦笑するにとどめた。

と、そこに丁度、鉄丸が帰ってくる。

「あ、こんにちわ〜!」

「おお、純じゃねーかっ、元気してたか、コイツ〜!!」

といきなりヘッドロック。

力丸の挨拶はこいつからの伝授だったのか、と思ったが、本当にここの人間は

来客が大好きなようだ。

学生ズボンの黒とおそろいの黒い半袖Tシャツというワイルドな恰好に、

荒く乗りこなした自転車、泥よけには高校のステッカーが貼ってある。

「え、鉄丸さん、今日クラブは?」

「ん、だって期末試験前だから」

鉄丸の高校でも、定期試験の1週間前から試験期間に入り、クラブ活動はいかに

盛んなところでも休みに入る。

「あ、高校ってそういうのが・・・・・」

「おーよ、まあ、周りバカばっかだから楽勝だろうけどなっ!あはははは」

と笑い飛ばす鉄丸の脳天をゴツンと父は拳骨を入れて、

「そんなバカ高校にスポーツ推薦でやっと入れたんぢゃろがっ!お前、本当に

少しは勉強したらどうなんだ、全く・・・・・私立っていうのは月謝も高いって

言うのに・・・・・・」

「るっせぇなあ、K高なのは親父も一緒だろ!言っとくけど俺は普通科なの、親父は

電気科じゃねぇか!・・・・・純、後ろ乗れっ!」

「えっ?」

意味も分からず自転車の荷台に飛び乗ると、

「ちょっと散歩!」

と言い捨てたっきり、海岸に向かって一気に漕ぎ出した。

 

「純、お前何かあったんだろ」

「えっ?」

「顔に書いてあんだよ・・・・・あはははは・・・・・・海行くか!」

こういうところも驚く程力丸そっくりだ。

吹き付ける向い風がものすごく強くて、鼻の奥がしょっぱい紺色の匂い

で一杯になってしまった。

鉄丸も、何かのことに行き詰まったことがあった時は、こうして海岸まで

ちょっと足を伸ばして、しばらくぼーっと何も考えないで過ごすのだという。

机の前に座っていても何も解決しない時は特に・・・・・・・・・。

「気持ちいいだろ?」

「はいっ」

蜜柑畑を越えたらいよいよ海に面した道路に出る。

雑貨屋の近くに自転車をとめると、ガードレールの間の、砂浜に続く、金属製の

手すりのついた荒砂利混じりのコンクリートの階段を降りて、砂浜に腰を降ろした。

空に負けないぐらいの青い青い海が、水平線の向こうまでずっと続いている。

カリッカリにピントの合ったビデオ映像のような、コントラストの強い風景。

「どした?」

「えっと、実は・・・・・」

純が事の成りゆきを説明すると、鉄丸はそれがとても笑いのツボに入ったらしく、

大爆笑を始めた。

「ぎゃっははははは、ああ、そうかっ、そんなことがあったのか〜・・・・・・・」

「こっちはいい迷惑ですよもう!」

そうつっぱねる純に

「よっし、純、お前さ、とりあえず鍛えとこっか?」

「は?」

「ん〜、何ていうんかな、俺もテスト勉強で体動かしてないと、何かイライラするし。

よし決まり、ちょっと走るぞ!」

突然そう言ってすくっと立ち上がる鉄丸についていけず、

「えっ、ええっ!?」

と動揺する純だったが、ぐいっと大きな手が純の手首を掴むと、

「じゃ、海岸線までな!」

すっくり立った純を鉄丸が見上げる。

力丸との闘いのせいで、急激に日焼けしてまだところどころ、角質がめくれて

色ムラができているものの、ピンと張った肌。

女の子と言っても通るような顔だちと髪の毛の色、しかしそれもこの田舎暮らしで

幾分、男らしく締まってきた気がするし、少なくともテレビに出てくるこまっしゃく

れた子役のような人工臭さはない。

肩幅は、やはりこの前みんなで風呂に入った時も感じたが、同い年のはずの力丸とは

かなり狭いが、足は少しだけ長いのが救いと言えば救いだ。

しかしこの体格も、いずれあと3、4年で大人のものへと変化していくのだろう、

そう、鉄丸自身のように。

 

「うぁ〜っ、もう死ぬぅ!!」

目的地に到着した途端に、純はドサッと砂浜に大の字になって、一心不乱に

酸素を貪っている。

「はははっ、純、お前基礎体力なさすぎだぞ!やっぱり東京育ちはこれだから・・・・」

東京者、という意識がある時点で田舎者、そう内心ツッコんでしまう純であったが、

今はそんな余裕などない。

「でも純、相手がどんなヤツか知らないけどな、ボクシングにしろ何にしろ、

格闘技はこの基礎体力が一番肝心なんだぞ?」

「・・・・・・・・あ、はい・・・・・」

純の素直な反応に、やたら満足げな鉄丸。

「う〜ん、やっぱり素直な子はいい!うん、ウチの力丸とエライ違いだ本当!

あ、それと。」

「?」

「男はな、時として意地を賭けて闘わなきゃならない時ってもんがある。きっと

純は今、そうなんだよ。俺、応援するからな!」

にっ、と口元を緩めて、頭を撫でてやる。

その鉄丸の手が、予想よりずっと優しかったのが純にとってはとても印象的だったが、

「それからその細っこい腕な?やっぱり欲を言えばもうちょっと鍛えておいても

いいと思うんだ、俺は」

鉄丸はそういってすっとTシャツの二の腕を見せると、モリッと膨らんだ

丸い筋肉が純の視線を釘付けにする。

まさに、『闘う男』の腕であることには間違いなかった。

「すっげぇ〜!」

思わず口からそんな言葉が出ると、鉄丸はちょっと照れて、

「純ってさ、すぐ人のこと誉めるのな」

「え・・・・・・だって・・・・・・いいなあ、鉄丸さんはこんなんで。

実は僕、東京じゃ・・・・」

純の暗い表情から何を言おうとしたのか即座に察したのだろう、

「いいじゃねぇか、もう済んだことだ。まあ、今から鍛えればこんなになるよ」

「・・・・・・本当!?」

「ああ!」

そう答えると、純の表情がぱあっと明るくなった。

何だか鉄丸には自分のことは全部打ち明けられそうな、そんな気がしていた。

結局、腕立て伏せと腹筋を50回こなしてから、そのままこれから家までランニングで

帰ろうということになり、鉄丸が自転車で伴走しながらうだるような暑さの中、

2キロもの起伏のあるアスファルトの道をひたすら走りだす。

ガードレールの下はずっと真っ白な砂浜、という眺めのいい山沿いの道。

日陰に吹く浜風に吹かれながら、時折遠浅の海に目をやる。

「お前、そんなに海が珍しいの?」

「・・・・・・・まあ、はい」

「ふ〜ん。俺にはどうってことない風景だけどな」

車道をまばらに走る自動車と派手なデコレーションのダンプカーに風景を遮ってゆく。

それから、農村エリアまで戻ってきて、この土地の名産でもあるスイカ畑に差し掛かって。

「あ」

「・・・・・・・」

孝次だ。

きちんとボタンを止めた半袖の白いワイシャツに制服の黒い半ズボンのコントラストが

目に眩しい。

「何やってんだよ」

先制攻撃を仕掛けてきたのは孝次だ、全くこっちに非がないという自信のあらわれだ

ろう。

「・・・・・・・・お前を倒すためにトレーニング・・・」

しかし、いざ相手を目の前にしてしまうと、やはりトーンダウンしてしまう純。

喧嘩慣れしていない者特有の反応、と言えば分かるだろうか、ともあれ孝次の方が

勢いは上だ。

「純・・・・・・お前の相手って、もしかして・・・・・・孝次?」

拍子抜けしたような声で鉄丸は純の気弱さっぷりを追及する。

「うん・・・・・・・・」

「あのなあ孝次、何もそんなことで闘わんでもええじゃないか?」

突然説教モードに入る鉄丸。

「いや・・・・・・・・・・・・・あの、鉄丸さん?」

純が鉄丸の意図を図りかね、それを問おうとして

「まあ純、お前はちょっと黙ってろ。あのなあ孝次。そんなことで何も大袈裟に、

決闘なんかせんでも良かろう、馬鹿馬鹿しい。大体、みんながラクになるような

話を力丸がしているんだから、それに賛成してたらそれでいい話じゃないか?」

「でも、ラジオ体操はやらなきゃいけないもんじゃないですか、中止だなんて

そんな非常識な話、聞いたことありません!」

鉄丸の言葉が終わる前に、いつもの舌鋒鋭い勢いで反論する孝次、全く相手を

見て喧嘩することを知らない。

鉄丸と孝次がしばらく言い合っている状況に、純は改めて孝次の体型に目をやる。

同じ小柄ではあるが、純と明らかに違うのは、言い方は悪いが割り箸のようなひょろっ

とした、骨格がはっきりと分かる長い手足だ。

当然、頭が大きく見える程に上半身も細く、まるでそこらの畑になっているスイカの

ような丸く形の良い頭を包む力丸よりも短い五分刈りの真っ黒な髪の毛に、

幼さの中にもきゅっと締まった口元と眉。

額もつるんと丸くて広く、目はしっかりと鉄丸に向いている。

これから試合の相手にするにはあまりに脆弱そうな印象を受けたが、しかしここで

引き下がる訳にはいかない。

そう思うと、くたくたなはずの純の体に、またふつふつと闘志が燃え上がってくるの

だった。

絶対に負けない・・・・・・・・・。

「純、止めようこの試合」

「え?いやあの・・・・・・・?」

今一つ事態が飲み込めない様子の純に

「いいか、純?徹底的に孝次のヤツに説得するんだ、いいな?」

「いや、さっき『男なら引き下がれないことが』って言ってたじゃないですか!」

「ん・・・・・何ていうか・・・高校生として、ちょっとどうかと思うんだ・・・・

試合の結果が目に見えてるし・・・・・その・・・・・・・ボクシングって・・・・・

弱い者いじめじゃないし・・・・なあ?そこらへん、分かって欲しいんだけどさ。

えっと・・・・・何ていうか、勝負にならないというか、一発殴ったら

もう死ぬぞ、というか・・・・・ああ、どう言っていいのか・・・・・」

必死に純に言葉を選んで説明しようとして、どんどん『言ってはいけない単語』を

連発してしまう泥沼に陥る鉄丸の肩を、孝次は思いきり押すと、

「俺はお前らみたいなヤツには絶対負けないからな!何が高校生だ、お前なんか

不良の掃きだまりにしか入れなかった落ちこぼれのくせにっ!」

そう言い放つと、孝次は一目散に自宅の寺へと走り去った。

「あっ・・・・・・」

「行っちゃった・・・・・」

ぽつん、と取り残される純と鉄丸。

「・・・・・・・・純・・・・・」

「何ですか?」

「・・・・・・・・・・ブチ殺せ」

ワナワナと肩を震わせて自転車を押す鉄丸。

「え、ええ!?さっきとまた言ってるコト違うじゃないですか!!」

「いや、構わん。アイツに試合の厳しさを教えてやれ!」

支離滅裂なのは兄弟一緒か、と痛感する純であった。

「いや、あんた構わんでもこっちが構うがなそんなん!」

「いいか・・・・・これから徹底的にシゴいてやるから、覚悟しとけよ・・・・

ったくあの野郎・・・・・・・・」

更に延々とブツブツと口の中でやり場のない怒りを燻らせる鉄丸に、もはや

純の反論など届くはずもなかった。

「いいな純、1Rで片付けるなよ?ジワジワと3Rは試合を引き延ばせ。ああいう

ガキは一度、死ぬ程のお仕置きをしてやらんとイカン!」

それはただのあんたの個人的感情ではないのか、とツッコみつつも、場の空気が

それを許すはずもない。

もうどこまでも強引に進んでしまう試合へのお膳立て、そしてもはや、

夏休みのラジオ体操がどうとか、協調性がこうとかといったことなど、

話の中心から全く遠ざかっていた・・・・・・・・・・。

「あああああああ・・・・・・・・何か違う、何か違う〜・・・・・・」

「さて、純よ。早速明日から朝トレやるぞ!」

「は?」

「は、じゃないだろう、お前、ボクシングがどれだけ体力使うスポーツか

知っているだろう、この一週間毎日トレーニングな!放課後も来いよ?」

・・・・・・・・・・こんなことさせられるんなら、毎朝ラジオ体操に

おとなしく参加した方がずっとマシなのではなかろうか、そんな気が

猛烈にしてくる純。

「純!・・・・・・お前・・・・・・」

ハッ、と振り返るとそこにいたのは力丸。

「ああっ、力丸ぅぅ〜〜〜〜!!実はさっき鉄丸さんが無茶・・・・・・」

「・・・・・・・・純、何も言うな・・・・・・お前そこまでしてみんなの

夏休みを・・・・・・・・」

「は、はあああ?何言ってるんだよ・・・・・」

「いや、もういい。ボクサーは言いたいことは拳で語れ!」

「だからそもそもボクサーじゃないし・・・・・あのほら・・・・・ああっ、

もう俺いつもこんなん!!!」

 

(なしくずしのまま続く)

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