夏の日の思いで2

 

第7話  決着

「ファイト!」

ボックス、じゃないかけ声に鉄丸は暗にアマチュアではないことを言外に

表現したかったのだろう、が、孝次がいきなり牙を剥いた。

「うあぁぁぁっ!!!」

目をギュッと閉じてがむしゃらに突進してくる孝次、多分最初にあれだけ

殴られたのが恐怖心に繋がったのだろう、さっき、最初飛ばすと後がキツくなると

嫌と言う程知ったことだというのに、もうそれが頭にない。

恐怖心に思わず目を閉じてしまう、が闘っている最中にそんなことをすれば、

「うあっ!!」

純のストレートが胸に入る。

さすがに顔にカウンターを炸裂させるのは気がひけたのだろう、殴られた瞬間、

反射的に孝次の目が見開かれる。

「けほっ・・・・・・・・」

膝をつきかけたところに純の右フック!!

孝次の世界がグニャリと歪み、そのまま横倒しに崩れる。

その瞬間、薄目から、然して体格の大きい訳でもないはずの純が、

まるで高校生ぐらいに感じられた。

「やったぁ!!!」

わあっと沸き上がるクラスメイトたち。

「ハァ・・・・ハァ・・・・・・」

自分の腕力で同年代の少年が倒れた、そう考えると、純は運動以外の理由で

鼓動が早くなっていくのが分かった。

 

「ニュートラルコーナーへ!」

鉄丸は、そのまま大の字に展開する孝次を睨み付けたままの純を制止するように

ゆっくりと誘導してやると、そのままカウントを取るべく、孝次の真上に、

顔を覗きこむ恰好でカウントを取り始めた。

 

「・・・・・次クン、孝次クン・・・・・」

「う、う〜ん・・・・・・」

それから、ふと孝次はまだ、自分の心臓が止まっていないことを確認すると、

ハッと飛び起きた。

昼間のはずなのに、そこは薄暗く、そして全く見なれない寝室。

が、それなら寝巻が相応しいはずなのに、孝次の格好はそう、試合中のままだった。

あまりにも奇異な組み合わせに事態が飲み込めない。

もつれた思考を解こうとしている、とそこで、今度はさっきまで自分の名前を呼んで

いたのは誰なんだろうというところにまで考えが至る。

あわててキョロキョロと周囲を見回すと、そこには昨夜のお姉さんが薄い寝巻きのま

ま、笑顔でこっちを見ている。

「あ・・・・・・あの!?」

何から考える優先順位をつけていいかすら分からない。

自分はさっきまで試合をしていたはずなのに・・・・・・・その試合の結果はどうなっ

たのか、それにこの不可解な状況の説明がつかない。

そもそも、もしかしたら自分はもう、本当は死んでいるかも知れないとすら

思えて、泣きたくなるぐらいに不安になった。

「随分やられちゃったね」

見られていたのか。

その羞恥心と屈辱に、ぎゅっと唇を噛み締め、プイッと左を向く。

が、そっと両手で頬を押さえられ、

「気にしなくていいのよ」

優しくされるだけ、自分という人間がひどく恰好悪い矮小な存在に思えて、

それだけで体が細かく震えた。

「怖がらないで、ちゃんと生きてるから」

だとしたら、この状態はどう説明するのか。

「ほら、そんなもの入れてるからお話できないんでしょう?」

マウスピースを取り外されると、それからその細い指でヘッドギアから

孝次の頭も締め付けから解放してやる。

「お姉さん、俺・・・・・・」

「動かないで、ね?今、タオルで体拭いてあげているんだから」

すうっと冷たい感触がして、やはり疲れが回復していくような感じ。

「あっ・・・・・・・・・・」

トランクスの中を拭かれそうになって、孝次は両手で腰を押さえたが、

恥ずかしがらないで、とたしらめられ、その手を離した。

しかし孝次はもう、脳が爆発しそうな羞恥心に、またしても唇を噛み締める。

体の奥底から熱くなる感覚を激しく戒める、がそんなことは全くの無駄だった。

こんなところを母親以外の異性、いや、母親にだって見られるなんて

死ぬ程恥ずかしいのに・・・・・・・。

しかし、お姉さんはそんなことお構い無しで、指摘もしないままケアを

続けていく。

「お姉さん・・・・・・ありがとう・・・・・・・・・」

小さい声でそれだけ言うと、

「いいの、でも孝次クンは偉いね、いつも礼儀正しくて、真面目で」

「ねぇ、お姉さん、俺間違ってるんですか?今までやってきたことは

みんなみんな、間違いなんですか?」

やっと孝次が本格的に会話に応じた。

するとお姉さんはちょっとだけ考えて、

「それはもう、孝次クン自分で分かってるんじゃない?わざわざ私に

聞かなくても。でも、私はその答えは正しいと思う」

ぴたっと体を寄せられると、優しい感触がした。

ビキイイインッ、と孝次は全身がつったように硬直してしまい、口を

真一文字に結んだまま、歯を食いしばった。

「ずっとこうしていたいです」

「駄ぁ目。孝次クンは試合の途中でしょう?」

「ん・・・・・・・何か俺・・・・・・もう駄目みたいです、アイツ、

ちょっとだけどホントにボクシング習ってたし、体格だって・・・・・」

そんな原因を列挙しようとして、

「諦めるなんて孝次クンらしくないと思う」

「・・・・・・・・・・お姉さぁん・・・・・・・」

「続きは試合の後。一生懸命のファイトの後!約束ね。そうだ」

おでこにチュッ、とキスをされてから密着するように孝次を包み込む温かい感触。

「ああ・・・・・・・・」

「どう、これから元気にファイトできるって約束する?」

「はい!!」

 

「4!」

それからもう一度、目を開けるとそこには真顔でカウントを続ける

鉄丸の顔があった。

あ、さっきのは何だったんだろう・・・・・・・・。

ゆっくりと上体を起こして軽く首を振ると、それから左手で地面を押さえて、

立てた右膝をグッと押さえる要領で起き上がる。

カウント8で辛うじて立ち上がる孝次の耳もとで、ニヤッと

「ふーん、あんだけやられたっていうのに、まだまだファイト満々ってカンジ

だな?ん〜?」

「なっ・・・・・・・・・」

「まだやれるんだろ?」

孝次は無言で頷くと、屈伸運動をしていた純に、

「さぁ来い!」

 

何を、さっきまで大の字でひっくり返っていたくせに!

純はちょっとだけムッとしながら、孝次の攻撃をブロックしながらも、

「うりゃっ!!」

とさっきヒットした胸にもう一撃!

しかしそれで空いたガードのスキを突いて、孝次の連打が入る!!

「うっ!?」

ビシッ、ペシペシペシィッ!!!

さっきまでのダウンが嘘のような勢いで孝次が飛び込んでくる。

「わわわっ・・・・・・・・」

お姉さんにもっかい会うんだ、もっかい優しくして貰うんだ、そのためには

コイツを倒さないと、約束だからっ・・・・・・・・。

孝次の鬼気迫る形相に、だんだんたじろぎだす純。

「バカッ、純、何やってるんだ、だんだんロープ背負って来てんぞ!」

「孝次はもうくたばり損ないだ、一発キツいのキメてやれよっ!!」

口々にリングサイドで同級生たちがわめく、が純はじわじわと孝次が

化け物のように感じてくるのだった。

と、背中にロープの弾力。

しまった、いつの間にかこんなところにまで!!

相撲の押し出しに例えるには双方肉付きがあまりにも足りないがそんな感じ。

「純、足使って逃げろ!」

力丸の指示に従えるぐらいならもうとっくに従っている。

さあ、もう逃げ場はないぞ、とばかりに手負いの猿が不敵に笑みを浮かべる。

まるで人が変わったような、自信満々の表情、これまでに孝次のこんな

様子は見たことがないのは純だけではなかった。

「やべぇよ、力丸!何か孝次の奴、様子がおかしいよ、脳みそフッ飛んだんじゃねぇ?」

「・・・・・・・・・。」

力丸はドキドキしたまま、それから数人から状況解説を求められるも、そんな

言葉も一切耳が受け付けないぐらいに二人の様子に見入っていた。

「純、逃げろ!!」

「うあああああああっ!!!」

両腕が強ばったところに、ビシバシと容赦なく入る孝次のジャブ、必死に応戦する

純だが、もうクリンチにしか見えない。

それからしばらく、むにゅっと体をやはり相撲のように密着させたままの

揉み合いに持ち込まれる。

皮膚の下はすぐに細い筋肉とゴツい骨。

まるで振りすぎたカイロかのように熱くなった孝次の全身に、純は圧倒されたまま

ゴングを待つ。

「はひっ・・・・・・・あああ〜〜んっ!!!」

恐怖で涙すらこぼれる、こんなひ弱なチビ相手だというのに!

ボグッ!!

鼻直撃ではないが、思いきり左の頬を抉られ、そこでゴング。

鉄丸はそこで割って入ると、孝次はコーナーに連れ戻された。

 

「うえっ・・・うううっ・・・・・・」

コーナーに逃げ帰った純は、差し出されたタオルで顔を覆うと思いきり

声を押し殺して泣いた。

「もうやだよ、闘いたくないよ、怖いよアイツ、アイツ絶対やばいって!!」

錯乱気味に不安と恐怖を訴える純を落ち着けさせるためにうがいをしてやる力丸。

「落ち着け、いいから落ち着けって!」

慌てて背中を撫でてやる、こうすると大抵の人間は落ち着いてくるものだ。

「しっかりしろよ、あいつ、あんなに飛ばしてたら絶対次でバテてるって!」

「純、お前ホント、かっこよかったぞ!」

「あんなヤツ、次のラウンドでKOできるって!」

そんな言葉にも、

「違う・・・・・・・・あんなにやられていたのにアイツ・・・・・・・」

「ん?どうした、どうしてたんだ?」

「ううん、何でもない・・・・・・言いたくない・・・・・・・」

ガチガチに緊張した純は多くを語らなかった、しかし力丸は、男として

純が圧倒されているということだけを感じ取って、深呼吸させることに

努めた。

「純・・・・・・これだけは言っとくぞ?」

「?」

「結局最後は自分との闘いってこと!」

 

ゴングが鳴った。

純はまだその意味がわからないまま、リング中央によろけるように飛び出した。

モンスターに変身してしまった孝次の待っているリングへ。

「うおおおおっ!!!」

もらった、と孝次は思った。

もう完全にリングは孝次のテリトリー、獲物にかかった純をどう料理するかと

いう状態だ。

ぺしっ、ぱしぱしっ!!

「うああんっ」

「どした純っ、そんなパンチ、効きゃしねぇだろぉ!?」

力丸がいくら言ってみせても、一度恐怖感に取り付かれた純にとって、

孝次のぺしぺしパンチも、まるでゴリラの必殺パンチのようだ。

やばい、それは鉄丸も感じていた。

どんどん後ろに逃げる純、両腕でしっかりガードしながらコーナーに追い詰められる。

「純っ、どっちの腕が細い!?」

「!?」

力丸の質問に、答える余裕はとてもないけれど、腕の隙間から孝次の姿をもう一度

見つめる。

丸坊主にびっしょりと汗をかき、骨格が分かりやすすぎるあの体格。

脂肪もないけど、筋肉だって・・・・・となれば無防備な

「ココだぁ!!」

ボコォッ!!!

純が一気に踏み込んでへそ上目掛けて渾身の右!

「う・・・・・・・・げぇっ・・・・・・」

孝次の胃液が砂地に飛び散り、目の焦点が飛ぶ。

「あ・・・・・あ・・・・・・・」

ガチガチと奥歯が鳴って、そのまま後ろに崩れ落ちる。

カウントを取るまでもなく鉄丸が割って入る。

「純!!」

鉄丸は高々と純の右腕を挙げた。

「そそ、そんなぁ・・・・・・・・」

 

一瞬、あまりにショッキングな光景に唖然としていた悪ガチたちがリングに

駆け込む。

「やったじゃん純!」

「マジでお前、本物のボクサーみたいだったぜ!!」

そんな賞賛を制止するように

「そんなことより孝次だよぉっ!!」

顔を真っ赤にして嗚咽する孝次。

しばらく声どころか呼吸もできない激痛にのたうっていた孝次だが、

純に負けてしまったのがよっぽど悔しかったのだろう。

「孝次っ・・・・・・」

グローブを脱ぎ捨てて手を差し伸べる純に、首を横に振って睨み付け、

拒否の姿勢を見せる孝次。

「孝次、駄目だよぉ!!」

しかし孝次は、涙をボロボロ流しながら、そのままがくんと目を閉じた。

「孝次ぃ!!!」

 

(8話に続く)

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